のあゆみ

このページは、第10回定期演奏会の時に同時発刊された「吹奏楽部のあゆみ」に掲載された内容から、定演に関したところを再編成し、ここに掲載しています。

「結成3周年記念演奏会(第1回定期演奏会)」に関しての掲載内容より(「吹奏楽部のあゆみ」P64)

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第1回定演プロ
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結成3年目にして、栃木県代表として、関東吹奏楽コンクールならびにTBSこども音楽コンクール東日本決勝大会に出場するまでに急成長した吹奏楽部は、その勢いをかって、広く多勢の方々に聴いていただこう、と独自の演奏会をもつ計画が打ち出された。

なにしろすべてが始めてとあって、実現までには数々の困難やエピソードが残されている。

第一の障害は、校外における演奏会の開催そのものについてであった。

反対意見も2つに分かれており、音楽教育、特に吹奏楽に無理解な人達は、中学生が旅館のバンドやチンドンヤのまねごとみたいなものをそんなに大々的にやる必要がないと言い、土地柄をよく理解し、生徒の気持ちを大切にする人達の反対意見は、これほど一生懸命やっているのにお客が集まらなくては生徒がかわいそうなのではとの心配からだった。

第1回定演
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これまで鬼怒川公会堂で開催されてきた音楽関係の行事には、町民が集まったためしがなかったという。

しかし事^-^実は予想に反して会場いっぱいのお客さんを迎えることが出来た。その結果大きな自信を得て、来年度はこの演奏会を土台にして第2回定期演奏会開催をめざすことになり、以来現在まで10年を経過して第10回定期演奏会の開催までこぎ着けたのである。

第二の障害はお金である。しかし予算はまったく0であった。なにをやるにしても先立つものはお金。できるだけ学校にあるもので間に合わせ、個人で持ちよれるものは個人で持ちよった。その他の準備でも、自分たちで出来ることは出来るだけ自分達の力でやる、など節約ムードで準備をすすめたが、それだけに手製の演奏会としてむしろ精神的にも充実したようであった。

一方部員の思いでとなるプログラムには思いっきりお金をかけ、当時としてはたいへん立派なものを作った。実現に向かって動き出したことであり、どうせやるなら、と不安ながらそのまま実行された。その他細かいところににもお金がかかり、準備がすすむにつれて事後のことが心配されたが、幸いにして当日お祝いを届けて下さった方が多く、それを経費にあてた結果、少々三残金を出すこともでき以来、費用の点でもある程度自信がついて、以後の定期演奏会の開催費のすべてがこのご祝儀のみによってまかなわれ、他からのいっさいの補助なしに実施されてきている。

 

第三の障害は進学問題との関係である。やや時期が遅すぎるのではと心配されたが、学習は個人の問題であり、むしろ好きな活動を通して生活が充実しているときの方が学習にも身が入るはずであり、プラスはあってもマイナスはないと信じ今回にいたっている。

つまりこれまでの部員の進学率は、全体のそれを上回っていることが何よりもはっきり物語っている。

第四の障害は、なれないことからくる準備の不手際があったが、これは部員一同一丸となって解決してきた。

演奏会当日、2時間半を越える生徒の熱演に予想以上の盛り上がりをみせ、終演の頃には会場は異様なほどの熱気につつまれた。鳴り響く拍手の中で演奏されたアンコールの「三百六十五歩のマーチ」が終わる頃には、座席に座っておれず、椅子の上に立ち上がって歓喜のの声をあける親、流れ出る涙をハンカチでさかんにぬぐう母親の姿、これが中学生の演奏かと手の痛さも忘れて拍手を続ける観衆。ステージ上では額に汗びっしょりの部員が、仲間と力を合わせてやりとげたことの大きさに、ともども大きな感激の中で終演となった。

ステージには生みの親である渡辺信太校長先生や、いろいろアドバイスいただいた足尾高校校三浦先生などの多くの方がかけつけ、部員にねぎらいの言葉をかけられた。この時の部員の顔はまさに晴れやかさに溢れ、やってよかったの満足感で輝いていた。

アンケートに寄せられた感想より

 

 

 

○中学生の演奏としては大変レベルの高いものです。今後のご発展を祈ります。(宇都宮30〜39才 男)

○一般の藤中生徒全員の態度も大変良いです。それに司会者も立派です。卒業生として感心しました。(大原 20〜29才 女)

○舞台が狭い感じでしたが、とても素敵でしたので時々聞かせて下さい。(鬼怒川 30〜39才)

○始めてなのに大変立派です。(鬼怒川 40〜49 女)

 

このページに掲載の写真、及び記録アルバムに残っている全写真は、CDにまとめてあります。